受け止められたかった
小学5年生の時にやったダイエットは歩く事。
食事はなかなか減らす要領も掴めていないし、そもそもダイエットするのなんて
イメージでしかないので、私に出来る事は塾から家までバスを使わず歩いて消費カロリーを稼ぐことだった。
進学塾に通っていた。いい点数を取って褒められたかった。
良い容姿にもなって外見も褒められたかった。
仲良い友達や憧れる友達は部活に入っていて、そういう子は動くから痩せてるんだという視点からだったと思う。
今思うと無謀な事をやったなと思う。
1時間以上、多分2時間かけて歩いて帰ったんじゃないか。
なかなか痩せない。当たり前だけど痩せる必要もない時期だし痩せる必要がなかった。
成功体験がなかった。
思えばそういう時期から私の報酬回路は刺激的なものじゃないと快感を感じたり、
達成感を得られにくいものに育ち始めていたのかもしれない。
言葉で褒められる。自分の感情を言葉で受け止めてもらえる感覚が養われていない。
そのままの自分でいていい、自分の良いところは褒められず、悪いところはダメよと窘められるというひっくるめての受容が足りなかった。
わかりやすいことをしないと周りから認めてもらえないと思った。
良い点数を取ること。
体型が褒められること。容姿が褒められるようになること。
見た目。能力の数値化。
のちのち怒らない人間になることが好かれる人に値する人間だと思い込み、
大事な感情を抑圧するようになる。
ありのままの自分でいられた時期なんてあったのだろうか。
常に周りからどう見られているかを気にした。