退屈さ
自分の事を理解してくれる、わかってくれる誰かが欲しい。
ずっと欲しくてたまらなかった。
病気や挫折で何十年も悩んで戦って受け入れて生き直そうして、
その中で自分の愛着問題に気づき、空っぽな心の穴を認めて向かい合っている健気な私をずっと支えてくれる人が欲しかった。
自分以外の誰かにそうして欲しかった。
自分自身のことを理解しようと試みたり、受け止めていこうと努力や内省は惜しまないけど一人だけでは寂しい。つまらない。
死ぬときは一人だともうわかっているからそれまでは誰かといたい。
自分をわかってくれる人とともに生きたい。
退屈は嫌だ。
刺激が欲しい。ドキドキしたい。ときめいて毎日過ごしたい。
その刺激で平穏な生活を壊していくのはない。
退屈が嫌でたまらなくて、危険を伴う刺激を求めて自分を壊してきた。
そういう恋愛はもうしない。
誰かを救える自分でいたいし、そう見られたい。
誰かが私を救うのを待っていた。
「誰か」っていうのはなんとなくイメージが出来ていて、父に似ている人じゃないとダメなんだと思う。
父を救いたかった。苦しんでる父を救える人になりたかった。
自分がこの家族の救世主になるんだと思っていた。
大事な人は救えなかった。
自分の事もまだ救えていない。救われたい。
寂しい。
何をたくさん食べようが、欲しいものを探して買おうが、穴が埋まらない。
ボロボロに空いた穴の形がわかっても、穴は埋らない。