錯覚
他人の行動・言動・仕草に反応して自分の事がわかる。
他人に映し出して自分を知る。
それを繰り返しながら他人の心理・自分の事も知ることが出来る。
他人を見ることで自分を見ている。
他人に興味があるようで自分に関心がある。
自分の事を知りたい。自分の事が心から理解できると人の事が心底理解できるから。
10代の頃は自分のことがわからなくて、他人の心の内だけを知ろうとした。
自分の欲をコントロール出来ず、体型も人間関係も、学業も家庭もうまくいっていなかったから他人の心の動きさえ知っていれば全て把握できる。コントロールできるものがあると知れるだけで安心感があった。
どだい、自分の心が見えず、見ないようにしてきたものの方が多いので他人の心の内なんてわかるはずもなかった。
本当はその時にあるものに目を向けてさえいればどれだけそこに在る幸せを感じれたのかもしれないのに。
そこにある幸せに気づけたら良かった。
病気は治せなくても、周りに大事な家族はいた。
不登校で学校に行けなくても私には家族がいた。
ダイエットに失敗しても学校には行けただろうし、太って醜くても友達は存在したのに。
全てが許せなかった。普通ではダメだった。
こう在るべき自分にならないと世間から許されない、特別扱いされないと思っていた。
特別扱いされたかった。姉妹であれば姉・妹よりも両親から優しくされたかったし、
同級生ならあの子よりも「仲良くしたい」「良い人だよね」と私に寄ってきて欲しかった。ちやほやされたかった。
皆が私を一目置いて見てくれる存在になりたかった。なれなかった。
痩せてなれたように錯覚した。
席次で1番とってなれたように錯覚した。オシャレになって錯覚した。
自分の見た目が整うと皆が自分を認めてくれたように思った。
そうなれない自分をわかってくれる誰かに見せたかった。
自分の弱さ、欠点を素直に出せば良かった。
自分の素直に出てきた気持ちを言葉でわかってくれる誰かに話せば良かった。
こう在るべき自分でいなければ、そういう弱さも出してはいけないと思っていた。
そんな風にまだ生きている。