過食へ向かうエネルギー
過食したくてたまらない。自分で作ったものでもいいし、
買いに行ったものでもかまわない。
ご飯やお菓子やアイスクリーム、チョコレートをたくさん食べてしまいたい。
緊張なのか不安なのか。それを和らげたい。苦痛で取り除きたい。
血糖値が下がり過ぎているのか。魚の群れのような過食欲のエネルギーが現れた。
さっきまでピタッと病んでいたのに急に現れだして過食の方に向かっている。
過食に向かうエネルギーを群れと例えると、一匹の魚(過食エネルギーを分子化するそんな感じ)だけでは過食に向かわない。
一匹の魚が群れとなすと強力な過食エネルギーになる。
過食欲求や飲酒欲求には自分の意志の力など及ばないのに一生懸命どうにかしようとしてきた。
毎回大敗する。
自助グループに通ううちに「自分の意志の力ではどうにもならない」ことを知った。
宗教染みていて全然わからなかった。まぁ今でも半信半疑。
ただここまで長年依存症でい続けているので信じずにはいられない。
自分を内省しつつ、病院にも通い、カウンセリングも受け、自助グループに足を運ぶ。
その中でスリップは何回もやった。治療中のスリップはリプラスという。
私たち依存症の仲間は回復に向かいながら、同じ失敗を繰り返しながら前に進む。
螺旋階段の昇るように前に進む。
そういう回復の仕方をするんだと私は思う。
失敗を重ねない回復はないと思う。
そういう繰り返しの最中。手痛い失敗をし、その痛みと苦しみから何かを掴み取る。
体感して学ぶしかない。
数えきれない過食のスリップをしてきて、その原因は「痩せたい」からではなく、
人間関係からのモヤモヤを言葉に出来なくて過食エネルギーになってることがわかった。
過食でしか自分の感情を処理出来ない。
食べることでしか自分の気持ちを宥めることが出来ない。
素直な気持ち・感情を言葉にして吐き出し、受け止めてもらうことを積まなかった。
食べることで自分に受け止めてもらう行為をしている。
食べる以外の方法や処理の仕方がわからない。それしかやっていない。
口を「食べること」で使い、「喋る」ことでは使っていない。
依存症の人は愚痴を吐くのは得意なので吐きなれている。
自分はどういう風にしたいのか。
どう思っていたのか。
どんな風に感じていたのか。
どういう考えが巡っていたのか。
その結果相手にどうして欲しかったのか。
そこまでは言い慣れていないし、相手にも伝えられない。
我慢して我慢して吐いてるのが愚痴。
本当はどう思っていたのか、自分自身の底にある感情を把握し言語化していない。
分子化した過食エネルギーは一匹だけでは無力だし恐れることはないのだけど
日々のモヤモヤを言葉レベルに上げて置かないでいると、いつの間にか巨大な魚の群れとなす。
ここまで形になった過食エネルギーが過食衝動なんじゃないかと気づいた。
群れを成した過食衝動になる前に、日々の自分の気持ちや考えや感覚を言葉に落としていく。
言葉に落としていけば、こういう部分が自分にはあるなと受け止められる。
圧縮して積むことが出来る。
毎日毎日言語化していくことで今日のモヤモヤは言語化した方がいいな、今日のは
しなくても大丈夫だなと把握出来るのが増えてくる。省けるものも出てくる。
そのうち、自分のことを自分の言葉で宥められる日が来るのかもしれない。
誰に言ってもらわなくてもいい。