声をかけて欲しくて病気になる
これからの事を色々話してきた。
嬉しさや喜びで心が揺れている。喜びも悲しみも怒りも自分の心を揺らし過ぎるので出来るだけ淡々と過ごしたいが嬉しい時も食べる量に反映される。
嬉しいことがある、感情の揺れがあると自分の食べる量も揺れる。
悲しいことがる、酷く怒っている。そんな日も食べる量は増える。
感情や気分に揺れがあると食べる量が揺れる。
振り子のように揺れる。
食べることで自分の心を撫でてきたんだなと思う。
これからは「食べることで自分の心を宥める」方法からシフトして
自分の言葉や自分でかける思いで宥めるやり方にシフトチェンジしたい。
目には見えない自分の感覚で宥めたい。自分の投げる思いで癒され励まされ、元気が出るように。
食べ物は空腹のときに口にして、元気をもらうもの。
空腹でもないのに食べて自分のやさぐれた心を慰める物じゃない。
感情を口から出して言葉にするもの。
甘いものや食べ物で口に蓋をするものじゃない。
その感情を甘いもので押し込めない。
今日聞いてもらってきた人に話を聞いてもらうのはとても心地よい。
ずっと私の話を聞いてもらいたい。
私の心をわかってもらいたい。理解してもらいたいという気持ちが出る。
恋心に似てる。私は医療者に自分の事をわかってもらいたい気持ちが人より強い。
強く出てくる。医療者や福祉職や教育職に弱い。
専門性の高い人に弱い。
その人自身じゃなくて「専門性の高い」ラベルに弱い。
恋しているようで恋じゃないのかも。
カウンセラーにも同じだ。
この人そのものの人間性ではなくまず肩書きとしての私を理解してくれる・包んでくれる感に弱い。
ラベルとしての肩書じゃない、私をわかってくれる「知識・姿勢」に弱い。
私は両親に良い点数を取る子ども、容姿がかわいい子どもとして褒められたい!そうであれば目に見えるように褒めてくれるだろう思って健気に頑張ってきた。
でも実はそうじゃない本当の自分を受け止めてもらいたい、理解してもらい太、褒めてもらいたい。
両親にして欲しかったことを医療者に重ねてみている。
怪我したとき、病気になった時、体調を崩した時、「大丈夫?」と声をかけてくれる人が欲しくて、病気になったことが多い。
声をかけて貰いたくて体調を崩したことは今思うととても多い。
心の状態が身体に映し出され体調が悪くなる。
その方が私に都合が良いから。人に心配してもらえるから。
病気が私のアイデンティティだった。