しかのブログ

自分の頭の中身や感情を知る日記、日々メモ化。

心の穴

眠れない。

久しぶりに眠れなかった。眠剤を飲んでも昨日は眠れなった。

いつもは眠剤を飲んで辛うじてなんとか寝かしつけいるのに、昨日は眠れなかった。

睡眠不足だと気になってしまう。ちゃんと眠れているのか気になってしまう。

眠れていない間は布団の中にいる時に悶々としている。もう確かめようもないことや、とうに過ぎ去った出来事、その中でも私が過去に発言したことや自分のした行動、自分の何気ない所作などが思い起こされて気になってしまう。思考強迫なんだと思う。

考えすぎることで自分に酔ってる。考えすぎる自分に酔ってる。嫌われても仕方ない関係の人や大事な人との関係、職場の対人関係。

時間が経てば解決されるであろうもの、時間が経たないと解決は計れないもの、時間が相手のタイミングが必要な事を「今すぐ」に解決しないといけないと思う私と現実との鬩ぎ合い。

人との関係を「自分ひとりで今すぐに何とか解決しよう」とする私の思考、傾向。

私は待てない。待つことが苦手だ。待つことが辛い、苦しい。

時間をかけて、解決されることがあるなんて今まで体感として知らなかったし、信じようとしなかった。信じられなかった。やってみることも不安だけど現在の私はやってみるしかない。

やるしかない。信じてやってみるしかない。時間をかけて解決できることがある、武蔵にある。

思考強迫に陥り、対人関係の悩みにハマった時、例えば職場の○○さんとの関係をどうしようと悩んでしまった時はメモ用紙に「○○さんとの関係」と悩んでる相手の名前を書く。その紙は謂わば私の思考強迫を言語化したものなのでこのメモ用紙を「おまかせ箱」に入れる。おまかせ箱はどんな箱でも良いから百均で手に入るカゴっぽいものでもトレイとか、カゴに出来そうな適当なものを選んだ。

自分の力ではどうすることでも出来ない、今の自分の力には及ばないものだから大いなる何者かの力に委ねる。「時間」という神様でもいいし、単に「神様」でもよい。自分が信じられる大いなる力であればなんでもいい。

思考強迫は言語化して「おまかせ箱」に委ねる。自分の力だけではどうにも出来ない。

自分を超えた「何か」の力にお任せする。決して「宗教」というような大袈裟なものではない。

自分だけの力は無力だから。無力なんだ。自分だけの力だけではね。

今まで自分の力でもこれまで頑張ってきたし、誰かの力を借りて生きていかなければこの世界を生きていかれない。誰かの助けを貰って、いろんな人の知恵や力を借りる。

甘いものの力と薬の力だけを借りて依存して引き籠もって生きてきた。甘いものに寄り掛かって生きる方法しかわからなかった。心がソファに座ってるように落ち着ける心地は食べてる瞬間が多かった。

他に力を分散できなかった。「助けて」と言えば誰かは助けの手を差し出してくれたかもしれないけど私は出来なかった。病気を持っていても誰かに頼ったり誰かの助けを実際に口から出すのは恥ずかしかったから。

これだけ人の力を借りて生きているのに「誰の力も借りて生きていない」、「自分だけの、自分だけの努力を絞って頑張ってる私」を必死に誇示してきた。

これはプライドだろうか。意地だろうか。わからない。

挫折をしながら、たくさんの悔しさを裏返した何かなのかな。

誰かに認めて欲しい。

精一杯転んで何度も這い上がろうとしている私を認めて、「頑張ったね」「でももう自分のペースでいいよ」「あるがままで生きていいよ」って言って欲しい。

「もう頑張らないで」って言ってくれる誰かがそばに居て欲しかった。

でもそんな誰かがいてくれるわけではない。

私の感じている「寂しさ」は誰かが与えて、私の「心の穴」にぴったり嵌るものではない。誰かが優しさや耳心地のいい言葉、物を与えても私の「心の穴」に嵌らない。

それでは埋まらない。

絶対的な寂しさだから。生きていくうえでずっと抱えて生きていく「寂しさ」

私が欲しかったものは絶対的な愛かもしれなくて、それは物心つく前に作られてしまったもの。

他人から「心の穴」ぴったりの何かを貰えるはずはない。恋人、友人からそれに似たようなものを貰えるのかもしれないけど。

ぴったりではない。

本当は両親から物心つく前に貰いたかった。寂しさという感情を食べることで麻痺させ始めた頃、もしくは手を洗うことが止められなくなり始めた頃に貰いたかった。

絶対的な愛。あの頃に貰って「心の穴」ぴったりに嵌るものかもしれない。

今、親から与えてもらったとしても何か違う。違和感がある。

「あの頃」の私が受け取ると私の「心の穴」にぴったりなんだと思う。

私が求めているものは一生手に入らないと知ってとてもショックだった。

私が欲しているものはもう貰えない。こんなに欲しいのに得られない、私に特別な人が出来たとして、その人が与えたいと言ってくれても私が求めているものを得られない。

「手に入らないと諦める」

自分に特別な誰か出来たとして、その人に何か自分の持ってる大事なものを与えたとき、物ではなく自分の持てる優しさや出来る働きかけを与えられた時私の欠けた部分は自分で満ちていくのかな。