切り替え、切り離し
母から「言わないで」と言われた。
発端は家族みんなで使ってるバスタオルやハンドタオルなどを洗濯する際に私が使ってるエプロンも一緒に洗濯して欲しいなと言ったことから始まる。
まぁお互いに忙しい朝だし、母も出かける前とあって「朝タオルを洗濯してね」っていうのはプレッシャーに母は感じてしまったのだろう。
「~~してね」「~~お願いしたい」と私から言われる事自体がプレッシャーだったり「強制」のように感じるのかもしれない。
ついこの間家族で会話している時に母や姉が私に「~~頼めるかな?」という事は提案やお願いであって決して「強制」なんかではないんだよと話し合い、気持ちを確かめあったと思っていたのに教えてくれた母が私から頼まれたことや「出来たらこうしてくれると助かるな」というお願いを「強制」とか「しなければならない」と思い込んでしまうようだ。
私の伝え方やお願いの仕方にも問題があったのかなと思うところはあるし、捉える母のフィルターが「強制」の2文字で曇っていたのかもしれない。
でも母は今まで私から依頼やお願いごとをされ過ぎて抵抗感が強くなっているんだという事は理解できる。言わないでいられたらその方法を取りたいけど聞かなきゃわからないことだって多いし、言ってみないと自分でわからないことの方がたくさんあるから「洗濯出来る時に一緒にお願いしたいんだけど」って言った。
何事もやってみないとわからない。やらなくて想定出来ることはもちろんやらずに避けて通したい。体験がすべてとは言い切れない、言えないけど、自分が変化する時には「痛み」が必須なような気がして。
蛇が脱皮するとき、サナギから蝶に変える時、「変身」する時は痛みが伴うものだと理解できる。
言ってみて母の反応を見て彼女にはプレッシャーなんだって事がわかった。次からは自分で洗濯出来る時間帯なら自分でやろうかなって自発的に思う。それがわかっただけでも良い。
これが私の捉え直し。家族との擦り合わせ。まだほんの一部。まだ始まったばかり。
今まで病気だから出来ないって言い訳を貫いてやらなきゃいけないことを先送りしてきたから。出来なかったわけではないかもしれない。出来なかった事は多い。
だけど先送りしてきたことの数はもっと多いから。
言い合いになりそうになって母に対してムカついたし、「なんでそれぐらいで怒るスイッチが入るんだよ!」って相手の怒りについついつられそうになっちゃうんだよね。相手の言い方に私はなんだか傷ついたりもして。母はすぐさまその怒りエネルギーを家事やなんかの作業に没頭させて分散させてはいるんだろうけどガチャガチャと物音に怒りが表れているものだから全然落ち着けず気分はシュンとなってしまった。
でも気持ちを引きずるのは無しにしたい。気持ちは切り替える。
そして私は敏感気質なので自分と相手との間に境界線を張る。
もともと薄い境界線を持ってること、そして他の人たちより境界が薄いんだと認識する。相手の気持ちに左右されやすいこと。
自分と他人とは同じじゃない、違う人間だっていう当たり前の事実を頭に叩き込む。
今回のように相手に不愉快に思われたりする事だってある。私は人に嫌われたくないって思うことの方が多い。断れない事も多い。
だけど相手に嫌われてもいいし、不愉快に思われてもいい。頼みや誘いも断ってもいいんだって心と頭に叩き込んでる。そう思っても良いこと。
相手に主張することや「私はこう思うよ」も大事だし、同じように「私はこうは思わない」と主張することも大事。
場にそぐわない事を言って、相手に腹を立てられることもある、嫌われることもあるし、異議を唱えれば不愉快になるかもしれない。
だけどそれは「相手の問題」で私の問題ではない。今まで自分の問題だと思っていたけどこれは私が請け負う問題ではない。相手の問題なんだ。
私に腹を立てるも、嫌いになるも、不愉快になるも「相手の問題」。
自分と相手との問題を切り離していく。切り離しを上手にする。