怒りはみじめな感情を隠す
先週いろいろあった。
ミーティングの予定もあった。行きたくない時ほど行かなきゃならない。
それがミーティングに行くことの意味の一つ。
依存症の私が安心して繋がれる場所に身を置くこと。
そこが面倒くさくて行きたくない時でも。
時には疲れて休みたい時もある、そういう日は身体を休ませるに思い切って休む。
誰も来ないミーティング、1人で申請書や諸々を記入していた。
吐き出す仲間もいない、聴いてくれる仲間もいない。
心細かった。
誰とも繋がってる感が薄い。
住んでる場所から1時間かけて通ってるのにその意味を見出せない。
損した気持ちで帰ってくる。
妹や姪が会いに来るかもと意気込んでパンやお菓子を帰りに買っても結局来なかった。せっかく買った物が台無しになった様な気持ち。
自分がしたことが報われなかったように思う。
自分の気持ちが理解してもらえなかった気持ち。悲しいような寂しいような。
怒りは私の反応だ。
感じたくないような、みじめな気持ちを蓋してくれるような反応だ。
怒りに反応して、相手を責める。
そうすれば自分の感じている本当の感情に気づかなくて済む。
本当の感情は私をみじめにするものだと思っている。
「大切に扱われなかった」
「認めてもらえなかった」
「愛してもらえなかった」
「わかってもらえなかった」
「理解されなかった」
=私をみじめにさせる気持ち
それを消化できるだけの許容力はないので自分に向けず、他人を責める。
疲れて帰ってきた母の体臭がキツくて正直に臭いと言った。
普段は口臭もキツく感じるのを言わないように努めているから昨日だけは嘘も言いたくなかったし我慢もしたくなかった。
臭いものは臭いと言いたい。
連休中にまた母が妹から子守を頼まれたと言った。頑張ってと言った。
私が何かをする事はない。
自分の仕事もあるし、自分の生活でいっぱいいっぱいだから余裕持って出来る事はない。
母が妹から直接頼まれて、承諾したものに私がわざわざ媚び売るようなことはもうしたくない。
私も帰りが遅くてその中で自分の出来る家事をやったり、パンを買って来たり、ミーティング参加して来たり色々頑張って動いて来て1日過ごしている。
母の機嫌ひとつで、何もやっていない・出来てない、全部やってるのは私(母のこと)だけと言われると腹が立ったので反論した。
全部はやってるわけではないが、やっていない訳でもないのに否定しないで欲しい。
やってることもあって、それを全否定されるともうやりたくない。
もうやらないと言った。
…精一杯やっているのにそれを表面的には理解していると言った母に実は理解されていないように思った。
相手も私に理解されていないように思ったのだろう。